トイ・ストーリー4 ネタバレ感想考察レビュー。ウッディの人生と役割を解説

トイ・ストーリー4 ネタバレ感想考察。ウッディの人生と役割とは【レビュー】

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トイ・ストーリー4の感想を知りたい人

トイ・ストーリー4を見たけどなんかもやもやするなあ

結局どういう話かよくわからなかった…

トイ・ストーリー3までの感動を返して欲しい

そんな方向けに、個人的な感想を書いてみました。

ネタバレありで「どんな物語だったのか?」「結局ウッディの選択はなんだったのか?」を考察していきます。

トイ・ストーリー4のテーマを考察(ネタバレあり)

トイ・ストーリー4のネタバレありテーマ考察です。

簡単に言うと、

  • ウッディは過去の「役割」から自由になった
  • 自分の「新たな役割」を発見した

という点に着目するべき。

 

ウッディの成長と変化の物語(役割演技の終焉)

今作で「ウッディ」は最後に決断を下します。

今まで一緒に過ごしてきた仲間の元を去り、愛するボー(ヒロイン)と共に過ごすことを選びました。

パカログ

衝撃的でしたね

トイ・ストーリー3までのウッディはいくつかの役割を担っていました。

  • 持ち主にとっての一番のおもちゃ
  • おもちゃたちのリーダー
  • 人間に愛される「おもちゃ」という存在

今作では、そのどれもを捨て去ります。

 

そもそもアンディからボーに渡った時点で、彼は「持ち主にとっての一番」ではなくなりました。

さらに、追い打ちをかけるように「フォーキー」が出てきます。

 

おもちゃたちのリーダー(束ねる)役割も、物語冒頭から「ドーリー(大きめの女の子の人形)」に奪われていることが分かります。

パカログ

ドーリーは元々ボニーのおもちゃ。ウッディ達は別の団体に所属したみたいな感じですね

 

そして、物語の最後に「おもちゃ」という役割も捨て去ります。

ギャビーギャビーのマイクを治すために「自分の声」を犠牲にしたシーンが印象的。

そして、最後にはボニー(人間)の元を去って行きました。

 

一人の人間としてのウッディの物語の始まり(心の声に従う)

ウッディは過去作においても、ボー(陶器製の飾り人形)と相思相愛でした。

 

今作において、ボーと共に生きることを選んだウッディ。

今までは、

  • 「アンディにとっての一番」であること
  • 「仲間たちのリーダーである」責任

が大事だと信じ、恋愛(だけじゃなく自分の感情)の優先順位は低めでした。

 

しかし「役割」から全て自由になったウッディの心の声が選んだのは

  • 最愛の「ボー」と一緒に生きること
  • 自分と同じように、おもちゃたちに「子ども」と過ごして欲しい(手助けしたい)

というものでした。

パカログ

物語中でバズライトイヤーが何度も「心の声に従え」って言っていたのは、この為のサブリミナル

 

ウッディのやりたいことは「人とおもちゃのマッチング」

ウッディは自分のやりたいことは「人とおもちゃのマッチング」だと気づいたのかもな、と思いました。

トイ・ストーリー4では、

  • ボニーとフォーキーがめぐりあう手助けをした
  • ギャビーギャビーの持ち主が見つかる手助けをした

というのが彼のやったことです。

この2つの経験を経てウッディは「人とおもちゃが出会うことをやりたい」と悟ったのかな、と。

パカログ

実際、ラストシーン間際では、射的屋のおもちゃを開放し、子どもたちにあげる手助けをしていましたね

 

自分が経験したような幸せな体験を他の人・おもちゃにもして欲しい。

愛される対象が自分じゃなくても良い。

「過去に与えられた役割」から自由になり、「新たな役割」を自ら発見する物語がトイ・ストーリー4だったのだと思います。

パカログ

一人のおもちゃ、改め、一人の人間として生きるウッディの未来が開かれましたね

 

トイ・ストーリー4のラストシーンを通じて自分の人生に関して考える

トイ・ストーリー4のラストシーンを通じて自分の人生に関して考えると、

  • 周囲の人が「当たり前」と思っている生き方に従っていいのか
  • 周囲に求められている「役割」に従う必要はあるのか
  • 自分の喜びよりも「多くの人が喜ぶ」ことのほうが本当は楽しいのではないか

などが思い浮かぶはず。

 

おもちゃですら、おもちゃとしての役割を捨てられますからね…。

今いる環境の「役割」に従う必要はない。

一歩踏み出しても人生は、また新たな形で続くのです。

 

トイ・ストーリー4の感想(ネタバレあり)

トイ・ストーリー4の感想です(ネタバレあり)。

色々と思ったことをざっくばらんに書いていきます。

 

名作「トイ・ストーリー3」の呪縛

名作「トイ・ストーリー3」の呪縛がどうしても免れません。

 

前作は「子供のおもちゃ離れ」を表面的に描きながらも、「アンディ(息子)がいなくなるウッディ(父親)の気持ち」がスゲー感じられた傑作でした。

物語としても良い結末でして、続編あるのか…っていう気持ちが正直ありました。

パカログ

あと個人的には天才監督のジョン・ラセターが関わっていないのもあり、不安でした

 

今作で一番気にかかっていたのは「アンディにとっての一番だったウッディ」がコロコロと気持ちを変えていいのか?的な所。

結論としては、新たな持ち主の「ボニー」の一番のお気に入りにはなれなかったですし、何度も似たような物語にはならなくて良かったな、と。

 

とはいえ、気持ち的には「トイ・ストーリー3」の感動をもう一度!って感じになってしまいますよね。

そういう心持ちで行くと、今作を見ても正直満たされないです。

ぶっちゃけ感動は無いですよね。

作品単体としては面白いテーマを扱っていたなあとは思うのですが、、、

パカログ

「感情的にはちょっと微妙」に感じてしまう一作だったと思います。

 

相変わらずのアドベンチャー(冒険活劇)とギャグは見事

子供向けの映画なので、相変わらずのアドベンチャー(冒険活劇)とギャグは見事でした。

ハラハラドキドキしながら見れますし、面白いシーン(笑わせるシーン)も多め。

 

唯一問題があるとしたら「最後の冒険」後のダラダラが長すぎるという点。

ギャビーギャビーからフォーキーを取り戻し、ボニーたちと合流できるのか?

的なところにもう少し時間制限を設けるべきだったかな、と。

 

あと、最後の時間はそもそも、ウッディがどういう選択をするかという葛藤シーンでもあるわけです。

ってことで、もっとしっかり内面の迷いを描いたほうが、分かりやすい映画にはなったかなあ、とも。

 

自立した女性(ヒロインのボー)を描くディズニー

アナ雪のヒットの影響、あるいはそもそもの時代の流れなのか

「自立した女性(ヒロインのボー)」

を今回もディズニー(というかピクサー)は描いていました。

基本的にウッディよりもボーが物語を進める役割を担っていましたし、勇気ある行動をしていましたね。

 

映画「シュガーラッシュオンライン」を見ても感じましたが「男に求められるプリンセス」的な価値観の古さを感じますよね。

自分の意見を持ち、自立して生きる。

その一つの現われとしてのボーのパンツ姿(スカートを脱ぎ捨てた姿)とも言えるかと。

 

ヴィラン(敵役)の役割について(ギャビーギャビーとは)

ヴィラン(敵役)の役割が過去作と違っていましたね。

トイ・ストーリー3までとは違って、敵にも同情の余地ありというか、救いがありました。

※前作までは救いようのない悪って感じでしたからね

 

今作の敵はギャビー・ギャビー(Gabby Gabby)という女の子の人形だったわけですが、

  • 一度も人間に愛されたことがなかった
  • 愛されない原因は「音声が壊れているせい」だと考える
  • 音声が治っても愛されることはない
  • 自分と同じように路頭に迷った子供(人間)を見つけ、彼女のもとへ行く

という展開に。

ウッディを犠牲にしてでも、自分の目的を達成するというのは、非常にヴィラン的というか、残酷。

とはいえ、彼女が一度も愛されていなかったことや、その後の「夢破れる」シーンを見ると、同情してしまうのも事実。

 

何故ウッディはボイスをギャビーギャビーに渡したのか?

何故ウッディはボイスをギャビーギャビーに渡したのか?

当然ながら、ボー・ピープ(Bo Peep)を救うため、というより、持ち主のボニーのためです。

 

ただ、ウッディの気持ちとしては「すでに自分は愛されたことがある」ことが大きかったのかなと。

自身のアイデンティティの一部(お気に入り)である「音声(マイク部分)」を渡す。

さらっと描かれていましたが、物語の結末にも続く「おもちゃとしての役割の喪失」シーンでしたね。

パカログ

さながら、アンパンマンが自分の顔を分け与えるようなもの

 

ウッディは「自分を救うため」にゴミ箱に飛び込んだ

ウッディは何度もゴミ箱に飛び込んでいます。

  • ボニーが幼稚園で困っているのを救うため
  • ボー・ピープ(ボニー)を救うため
  • ギャビーギャビーの傷心を救うため ※人間に選ばれない

誰かを救うためではあるのですが、「選ばれなかった自分」を救うためでもあるのかな、と。

 

自分は不用品(useless)なのか、というのが今作でのウッディの葛藤。

 

特に、物語最後にギャビーギャビーを救ったのは、ある種の自己憐憫に近いように感じました。

 

デューク・カブーンは信じれば空は飛べる

信じれば空は飛べる。

トイ・ストーリー1で記憶にあるのは、バズライトイヤーが空が飛べると信じていたのに、飛べなかったシーン。

そこでバズは、フィクションの世界から帰ってきて「おもちゃである現実」に悩むわけです。

 

今作でもその焼き直しのように、デューク・カブーン(Duke Caboom)が空を飛べないシーンがありました。

果たして、彼はトラウマを克服し空を飛べたわけです。

パカログ

この辺りは、バズと絡ませてもっとうまいこと感動できるシーンになった気がするなあw

 

【おまけ】おもちゃの一生。あるいは永遠に続く地獄

ここから先は、かなりディープな話題なので、こういう話が好きな人だけどうぞ。

 

トイ・ストーリーにおける「おもちゃ」という存在の過酷さ・残酷さが垣間見えました。

特徴しては以下の2点

  • 永遠の命
  • 誰か(人間)に愛されたいと無性に思ってしまう

 

永遠の命を持つ人は幸せなのか?

愛する誰かが先に老いていく中で、自分だけ変わらないのは幸せなのか?

よく考えると、そんな問題をはらんでいます。

 

で、おもちゃの一生ってなかなか辛いですよね。

人に愛されることを望む

→愛されて一時的に喜ぶ

→その喜びもいつか消えて、再度愛されることを望む

仏陀が過去に指摘したように、抜け出されない苦しみの連鎖ですよ。

パカログ

あえて強めに言うならば「永遠の地獄」です

 

ウッディは「おもちゃとしての宿命」から抜け出せたとも捉えられますね。

※まどマギの円環の理から抜け出したみたいな感じですね

 

トイ・ストーリー5はどうなるか?テーマを想像

  • 「人に所有され、選ばれる」おもちゃとして生まれた不自由さ
  • 人に愛されたいと渇望してしまう欲望
  • 代替品が大量にある世界で自分を価値付けるのは他人
  • 一度愛された思い出だけあれば、生きていけるのか問題

などが物語になりそうです。

ピクサー映画は常に裏側に深いテーマがあるので、次回も予想を超えたなにかを提供してくれるはず。

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