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名作映画「桐島、部活やめるってよ」を見ると人生の迷いが少し解消されます。
映画評論家の町山智浩さんの解説を聴くと、さらに10倍楽しめます。
今回は、そんな町山さんの考察・解説から一部抜粋します。
目次
「桐島、部活やめるってよ」の感想。これは普遍的な物語
まず、町山さんの紹介動画をぜひ見てほしいです。
www.youtube.com概要は以下の通り
- 「桐島、部活やめるってよ」は原作が朝井りょうの小説
- 桐島というバレー部のキャプテンで、すごく人気があって、なんでもできる学校のヒーローがいた
- そんな桐島が突然部活をやめることになる、しかも学校に来ない
- 生徒たちが、桐島を失ったために起こるパニックを描く
- 高校生の青春を描きながらも、テーマとしては「生きるとはなにか」という普遍的な作品になっている
非常に優れた考察で、この作品の本当の凄さが分かります。
なぜ生きるのか。生きる意味を見失ったリア充「宏樹」の目線を通じて
「何故生きるのか」という問題に悩むのが、主人公「宏樹」です。
- 思想的な主人公は「宏樹」
- 宏樹は何でもできるけど、楽しくない、何をしたら良いのか悩み始めている
- そんな「宏樹」の目線を通じて、どう生きるかを考えさせられる映画
動画の町山さんの発言を書き起こします。
思想的な主人公っていうのは宏樹くんなんですね
ひろきくんくんというのはなんでもできる人ってなっているんですけども、
なんでもできる人が楽しいのかっていうと全然楽しくないんですね。自分は何をしたらいいのだろうかって悩み始めていると。
それで野球部のエースっていうか期待されてた男なのにもかかわらず、野球部を辞めてしまっていると
勉強もできるみたいなんですけど、それははっきり描かれないんですけど、たぶんできるんですね。
女の子からもモテモテで彼女もいると。
でも楽しくないんですね。何をしたらいいかわからないんですね。
お前これからどうするんだと、
どうやって生きていくんだと、
お前一体何になるんだということを問われてしまった時に、
ひろきくんくんはわからなくなっちゃったというところからこの映画が始まる
これはなんのために生きているか、生きていく意味がわからなくなった人の話ですよってことですね。
ひろきくんを通してそれを考えてみてくださいっていう話になっています。
生きる意味を突き詰めると、実存主義が始まる
宏樹くんは、生きる意味を見失った状態です。
- 宏樹くんは生きる意味を見失う
- そして生きる意味を探っていくと「いつか死ぬ」にたどり着く
- いつか死ぬのに、何故生きる? そんな実存主義の問題にたどり着く
動画の町山さんの発言を書き起こします。
宏樹くんが意味を見失ってしまった
何のために部活やっているんだ、何のために野球やっているんだ、野球選手なるわけじゃないじゃん、野球で大学行くわけじゃないじゃん。
もっと突き詰めると何で大学行くの?
何で会社入るの?何で社会で働くの?何でお金もうけなきゃいけないの?
何で子供作らなきゃいけないの?何で結婚しなきゃいけないの?
何でそんな恋愛したいの?俺恋愛してるけど全然楽しくないよ、なんのために生きてるの?
全然楽しくねえよ!ってことですね。
宏樹くんがぶつかっている問題っていうのは。
だって人間どうせ死んじゃうんですよ、何をしたって。
何の意味があるんだっていう根本的な問題にぶつかったんですよ、宏樹くんは。
ほんとに悩みだしたら意味なんてないんじゃないのってことが実存主義っていう哲学ですね。
なんのために生きるのかを考えると、確かに「全てに意味はない」という結論になりそう。
哲学で言うところの実存主義です。
「どんなに頑張ったって死ぬ」のになんの意味があるのか
どんなに頑張って死ぬ現実。
どう生きるべきでしょうか?
町山さんの後半の動画から引用します。
www.youtube.com「どうせ私たちは負けてしまうのに、負けるってわかっているのに何で頑張っているのかしら」
っていうセリフが出てきますけども、あれはまさに人生そのものですね。どうせどんなに頑張ったって、どんなに金持ちになったって、どうせ死ぬんですよね。
で、何もかも消えてなくなるんだったら、何のために生きてるんだろうってことにも聞こえてきてしまうんですね。
宏樹くんっていうのはそこまで、おそらくは考えてしまっているか、考えることを象徴しているんですね。
つまり、金持ちになって、大金持ちになって、すごく最高な暮らしをして、じゃあそれに何の意味があるのか、どうせ死んじゃうじゃないか、ってとこまで考えさせる映画なんですね。
何でもできる主人公「宏樹くん」は生きる意味を見失います。
というか、この解説を聞いていると、「生きる意味ってなんだろう」って自分も考えてしまいますね。
なぜ生きるのか? 物語の中の答えの1つは「信仰者(信じること)」
「何故生きるのか」という疑問提起をした上で、この映画ではしっかりとそれに答えています。
その1つが「信仰」でした。
物語の中で、宏樹くんは生きる意味を持つ人(キャプテン)と出会います。
野球部のキャプテンはこう言いますよね。
何でいつまでも引退しないのって聞かれて、「いや、ドラフトが来るまではね。ドラフトが来るまでは頑張るよ」
つまりこのキャプテンっていうのは、来るわけもないドラフトっていうのを待ち続けて、それのために生きているんですね。
これは神を信じている人ですね、いわばね。
来るわけもない神様を信じている人ですね。彼は信仰者ですね、一種のね。
キャプテンは信仰者を象徴してるんですよ。
絶対に来ないものを、来るわけのないものを待って、それで生きていける人ですね。
確かに信仰に確信を持てたら「なぜ生きるのか」という疑問への回答は持てます。
※宗教には元来「死からの意識をそらす」「答えのない問への回答をする」効果がありますよね。
なぜ生きるのか? 物語の中のもう1つの答えは「やりたいことがわかること」
主人公の宏樹以外に、前田くんというキャラクタが登場します。
彼は失恋して、好きな映画も周囲に理解されない、映画の中では「負け組」として描かれます。
しかしこの映画ではもうひとりの主人公であり、「何故生きるのか」に明確な答えを出した人物でもあります。
そんな前田くんに、主人公の宏樹がインタビューするラストシーンが感動的です。
あのインタビューはふざけているようで、本当のことを聞いていますね。
つまり何で映画とってるの?映画監督になりたいの?女優と結婚したいの?アカデミー賞が欲しいの?って聞きますよね。あれは何を聞いてるのかというと、結果はどうなの?と、君たちが求めている結果は?目的は?目標は?意味は?って聞いてるんですね、前田くんに。
そしたら前田くんは照れながらですね、いやー、映画撮っていると、好きな映画とつながっているような気がして、としか答えないんですね。
あれは、意味とか、結果とか、目標とか考えたことなくて、俺好きでやってるんだけど。って言ってるんですね。
ひろきくんは全てにおいて完璧で勝利者だったんですね。
なんでも出来た。
ただたった一つ持っていなかった。
それは意味だったんですね、目的だったんですね。で、それで前田くんはですね、意味とか関係ないし、やりたいことがあるからやってるんだしと答える所で、前田は勝ったんですね。
全てを持っているひろきに前田は勝ったんですよ。
勝った瞬間ですね、あれね。好きなことやってるやつは勝ちなんですよ。
それで上手くいかなくたって別にいいんだもん、好きなことやってるんだから。それで上手くいきゃないけど、なんか結果がなきゃ、なんか意味がなきゃと思っているから、勝ち負けって言うことがそこに出てくるんですね。
人生に意味を見つけた者が勝つ。
好きなことをやっているやつが勝つ。
なんて痺れる台詞。
全ての物語は「自分自身にたどり着くまでの話」
最後に町山さんが言っている「全ての物語は、自分自身にたどり着くまでの話」という話をしていました。
つまり自分自身の中にある自分自身の一番深いところ、自分自身の本当にやりたい本質的なもの、本質っていうのはないんですから、好きな事がないってことなんですね、
逆にいうとね。さらに、意味のない牢獄のような人生から突き抜けて、向こう側に行けるんじゃないかと、向こう側っていうのは、自分自身にたどり着くってことですね。
実は全ての物語っていうのは自分自身にたどり着くまでの話なんですね。
哲学にしても、小説にしても、全ての物語は自分自身に帰ってくる、自分自身が見えなくなっちゃった、自分自身が見えない、自分自身に帰れっていう話なんですね、それを探すんだという話になっているんだと。
そうか、それが見たくて映画を見ているのかもしれない。
そんなことにも気付かされました。
ってことで、映画「桐島、部活やめるってよ」と町山さんの解説おすすめです。