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新海誠「天気の子」感想解説レビュー。ネタバレありで作品テーマを考察

新海誠「天気の子」のネタバレ感想。心が曇ったまま終わるセカイ系だけど嫌いじゃない

新海誠「天気の子」のネタバレ感想・考察です。

目次

新海誠「天気の子」のネタバレ感想「心が曇ったまま終わった」

心が曇ったラストの正体は?

ラストシーンのモヤっとした気持ちの正体はなにか?

ちょっと自分の心を分析してみます。

 

そもそも天気は、自然の流れで変えることは出来ない。

しかし、自分のある種のワガママと引き換えに、

  • 天気を変える力
  • 代償としての人柱という立場

を手に入れたのが天野 陽菜です。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というスパイダーマンの名言を引用するまでもなく、それは表裏一体のものであり、分離できないもの。

※スパイダーマンの意味は、ノブリス・オブリージュ的に「力・財力があるなら、人助けしましょうね」的なものなので、ちょい違いますけど

 

しかし、天気の子という物語のラストの展開は

  • 天野 陽菜は、大いなる力を行使して人々に喜びを与えた
  • 同時に、自分自身も「感謝れる喜び」と「金銭」を得た
  • 代償として人柱になり、世界(というか東京)を救うことになる
  • と思いきや、その役割を辞めて、普通に生きる。東京は水浸し

という感じ。

つまり、力を使った代償を受け入れるかと思いきや、そのままスルーパスしたような印象

しかもそれで被害を受けるのは当人たち二人意外の周りの人々。

※ひいては我々観客的立場の一般の人

 

この辺りがモヤッとする原因なのかな、と。

つまり

「二人の恋愛を邪魔するつもりもないし、二人がお互いを大事にし合うのは素晴らしい」

だけど、

「世界に対して与えた影響の責任はとれよ!

とひとこと言いたくなる感じかと。

 

とはいえ、天野 陽菜が世界の変異を起こしたのかは謎

天野陽菜が人柱になっていれば、世界の天気は救われていたのは確か。

とはいえ、先程言ったように「世界の変異を起こしたのがそもそも彼女か」というところは、なんとも言えないところですね。

※ここに関しては、別途調べてみます

 

ただ、基本的には「因果応報」であり「どこかで起きた変化は、どこかで辻褄が合う」というのが、ファンタジーにおいての原則かな、と。

鋼の錬金術師においては「等価交換」という言い方で現れますよね。

もっと直接的に言うなら、ワンピースの初期の名エピソード「アラバスタ」編ですよね。

別作品のネタバレなので、一応隠しますが「ある行為には、代償が必要だった」という話でした。

ダンスパウダーそのもの。

人工的に雨を降らす粉でして、別名「雨を呼ぶ粉」。

粉から霧状の煙を発生させて、空に立ち上らせる。

空にある氷点下の雲の氷粒の成長を急速に促し、雨を降らせる力があります。

しかし、それにより風下にある場所では雨が降らなくなるという代償がある。

「雨を降らせるためには、別の地域の雲をとってくるという代償が必要だった」

 

ということで、天野 陽菜は混じりけなしの「良いこと」をしてはいるものの、それは自然の摂理に反したものですし、なんらかの報いは受ける…というのが、エンタメ的道徳としては大事なのかな、と思うんですよね。

 

他のエンタメ映画なら天気の子とは違う予定調和ラストになっていたかも

他のエンタメ映画なら天気の子とは違う予定調和ラストになっていたよなーと思います。

つまり、

  • 森嶋 帆高の必死の行動で、天野 陽菜は助かる
  • 同時にご都合的に、人柱の役目は既に果たせたので、異常気象は終わる
  • 二人はカップルになり、東京も雨は無くなり、晴れ渡った空の下でハッピーエンド!

って感じ

 

天気の子はあの「新海誠」監督が作った映画です。

当然、新海さんならばその展開は一度は考えたはず。

さらには作品をスポンサー含め色々な人に見せるときに、色々言われたはず。

しかし、あえてそんなエンドは却下にしているんですよね、きっと。

 

ということで「なんとなくモヤモヤして終わって」嫌だった!

という気持ちで見終わるよりも、

そもそもどういう意図があったんだろう?

何を伝えたかったんだろう?

みたいに考えたほうがもっと作品が楽しめるんではないかなーというのが個人的な見解です。

天気の子のラストはセカイ系っぽい(セカイよりも君を大事にする)

観客の気持ちはモヤモヤした曇りのまま終わった

なんといっても本作の賛否を分けるのは、ラストの森嶋 帆高の行動でした

ざっくりいうと

  • 好きな人「天野 陽菜」を人柱としない(生贄にしない)選択をする
  • その代償としての世界の惨事(東京の雨)には目を向けない

という結末。

好きな人 > 周り

という選択でして、

そりゃダメだろって意見も当然あるでしょうし、

世界を犠牲にしてでも好きな人を思う純粋な気持ちが最高!感動!

って見方もあるはず

 

いわゆるセカイ系に近い?

これってセカイ系と呼ばれるジャンルに近いですよね。

世界の破滅というほど規模は大きくないですが、世界と君どちらを選ぶ?という意味では、ジャンル分けされるかな、と。

 

「世界が滅んでも、君のことを選ぶ!」

「世界を犠牲にしてでも、君のことを救う!」

みたいな感じ。

いや、空の上までヒロインの天野陽菜を救いに行くのは、胸アツで良かったですけどね。

※映画館で見ているときも、泣いている人多かったですし

 

そこまでの道すがらでも、法律を犯し、警察を無視しつづけたりで

「他の人には理解されなくても、自分だけが理解している本当に大切なもの」

そういったもののために、周囲を顧みず動く!…というのは一つのテンプレであり、物語における愉悦には間違いありません。

 

とはいえやっぱり「周囲はどうなるの?」という冷めた目で見てしまう人も一定数いるだろうな、と。

須賀 圭介と「大人」の考え

しかしながら「周囲よりも自分を優先するのはよくない」という当たり前に良しとされている考えは、作中人物のおっさん須賀圭介を見ていると、本当にそうかな?と自問したくなります。

それって結局は「大人」の考えなんじゃあないの?って。

 

物語の後半で、須賀 圭介は自己の保身(幼い娘の萌花)と自由に会うために、警察サイドに寄ります。

森嶋帆高に家から出ていくように言い、現金を6万円ほど握らせて、警察には無関係を主張する。

さらには、廃屋ビルに来た森嶋帆高に諭したり、と。

 

須賀圭介の行動だけを見ると、いわゆる大人で、自己保身的で、ぶっちゃけ辟易してしまいますよね。

しかし、彼の面白いところは、その2面性にあります。

というのも

  • 森嶋帆高を自己保身から追い出した夜に、長年の禁煙を辞めてしまう(罪悪感)
  • 老刑事である安井刑事が聞き込み調査に来た際に、帆高を罵倒しつつも、涙が流れる

というのが彼のもう一つの顔だから。

 

須賀圭介の言動・行動は大人であると同時に、心は違った。

同じ家出少年だった二人。

「自分が失ったなにか、ありえたかもしれない自分の姿」を、森嶋帆高の中に見ていたのかもしれません。

 

天気の子のラストの展開(東京の3年後)に対する他の人々の考え

天気の子のラストの展開(東京の3年後)に対して、登場人物・他のキャラクタはどう考えていたのか?

まず終盤に再登場するお婆ちゃんのセリフが面白い。

主な観客は20代~30代だと思うのですが、そんな我々よりも長く生きた知見と、歴史から一段上の意見を言ってきます。

曰く、東京という街は200年前とかは「水びたし」で「浅草の周辺なんかは、船の発着所だった」と(うろ覚えですが)

 

これって、つまり、制作側からの一種の防御ともうけとれて、

「いやいや、反対するのは分かっている、東京という街が水浸しになったら困るし、そんな行動はけしからんって言うでしょうね」

「とはいえ、一昔前を見ると、別にふつうのコトだし、もっと長い視野で物事を考えましょうよぉ~~~」

みたいな感じ。

 

ラストシーン直前、主人公の森嶋 帆高に対して、お世話した恩人の須賀圭介は「お前のせいじゃない、世界がお前なんかのせいでは変わらない」という言葉を発しています。

人柱の事件から3年で、森嶋 帆高は娘と仲良くしつつ、仕事も成功しています(事務所を構える程度には)。

森嶋帆高と廃屋ビルで見せた言い争い、そして、その直前の涙などはありつつも、基本的には「ファンタジーではなく、現実世界側」に軸足をおいた人間が須賀 圭介だとわかります。

森嶋 帆高の「自分は悪くない」と思いたい気持ちを代弁してくれるような森嶋 帆高の言葉に彼は救われかける、というのも面白い。

結局、最後に帆高は「自分の犯した罪とその顛末」を受け入れつつ、自己の行動を肯定するオチ。天野 陽菜との関係が再び始まってオールオッケー的な感じですね。

 

天気の子とセカイ系とラスト。世界の形を決定的に変えるのは良いのか問題

天気の子は新海誠監督的な「セカイ系」へのアンサーに思えます。

「セカイ(世界)のかたちを決定的に変えてしまったんだ」

という冒頭の言葉は、果たして肯定されるべきものか、否定されるべきものか。

VSセカイ系「世界の形を決定的に変えてしまったんだ」

「セカイ系」と呼ばれる作品たちがあります。

※定義は色々あるので「少年少女2人の行動が世界に直接影響する」くらいの意味で使います

天気の子はそんなセカイ系の新たな境地を開いた作品だったかなと思います。

 

というのも、よくあるパターンとしては

  • セカイと愛する人、どちらを選ぶかの葛藤
  • 愛する人を選んだ先のセカイの破滅への後悔、切なさ or それでもいいんだ!という表現(愛の深さを表す)

というのが王道パターン。

なんにしても、セカイよりも愛する人を選んだ後のセカイは悲惨で、その責任を主人公たちは受け入れなきゃいけない、というのが定石でした。

 

しかし、天気の子においては、そのセカイよりも、愛する人を選ぶということ(自分のエゴを押し通すということ)を、圧倒的に肯定しているんですね。

物語冒頭で紡がれる言葉は

「セカイのかたちを決定的に変えてしまったんだ」

でしたが、それに対する物語後半のアンサーは

「それでも、そんなセカイの中で人々はしっかり生きている」

というもの。

セカイを変えたこと、救えなかったことというのは、彼一人が背負う責任ではない。

彼一人が悔いるべき誤った選択ではない、というのが、この映画におけるファイナルアンサーでした。

 

圧倒的に肯定されるラスト。セカイはそれでも回る

圧倒的に肯定される2人の選択。

須賀圭介は森嶋帆高に「お前なんかの選択で世界が変わるわけない」と言っています。

実際に大雨が3年以上続く状態になっているのは、間違いなく彼の選択に影響を受けているのですが、そんなことはどうでもよい。

須賀圭介が言いたいことを要約すると「心配するな、一人で責任を感じるな」ということですよね。

 

また、最後に出てくるおばあちゃんも「東京は200年前、水浸しだった」とも言っています。

大人たちは、この少年少女の選択を決して責めはせず、それでも世界は回るから大丈夫と言っているようにすら思えます。

 

新海誠の葛藤「セカイ系」的存在の監督業の辛さ

これって結局なんなのか?

一言でいうと、新海誠さんの葛藤なのかな、と。

「君の名は」で「セカイ系」的な存在になった監督業の辛さ、とも言えます。

つまり、思った以上に自分の好きな映画・創作というものはセカイに与える力を持ってしまった。

そんな状況でも自分は映画を作り続けてもよいのだろうか?と。

 

スタジオジブリの宮崎駿監督は「となりのトトロ」を作ったときに「トトロを通じて、自然に興味を持ってもらい、子どもたちに外で遊んでもらいたかった」ようです。

しかし実際には「トトロを見るために、子どもたちは部屋の中にこもり、ビデオを見るようになってしまった」という話があります。

作品が人に与える影響、望んだものとは違う変容。

そういったものが見えていながらも、作品を作り続けて良いのか?

 

新海誠監督は、そこに対して、迷った末、全力で振りかぶりこう答えます。

「それでも作り続けるべきだ」と。

 

新海誠監督。

ものを作る人。

セカイに影響を与える人。

全ての人に対してこういっているように思えます。

「セカイは変わるかも知れない」

「だが、一人で責任を追うことはない」

「それでも好きなこと、望むことを追求し続けよう」

と。

天気の子のラストは、そんなエールだったのかもしれません。

 

天気の子の「須賀圭介」とは?

最初に、簡単に天気の子のキャラクタ「須賀圭介」について紹介しておきます

  • ムーなどオカルト系雑誌のライター業
  • (有)K&AプランニングのCEO
  • 奥さんは死んでいる
  • 娘あり(喘息持ち)
  • 「ケイちゃん」とも呼ばれている

というのが基本情報。

あと、映画の中では俳優の小栗旬が演じていますね。

 

須賀圭介はなぜ船にいたのか?

須賀圭介はなぜ船にいたのか?

よく考えると謎ですが、おそらくムーなどのオカルト系の雑誌の取材のために、森嶋帆高の住む小さな島に行っていたのだと思います。

ここには大した意味はなく、帆高の島がオカルトネタがありそうな辺境の土地だった…という解釈で良いかと。

 

須賀圭介はなぜ帆高を助けられたのか?

須賀圭介はなぜ船にいたのか?森嶋帆高を助けられたのか?

これって、よく考えると疑問ですよね。

というのも、大雨&強風の中、彼もまた船の上にいたということ。

※他の観客は帆高と逆方向に行って、避難しています

 

つまり、帆高とドアを一枚挟んで、須賀圭介もそこにいた。

彼らは非常に似通った存在。

一枚の扉をはさみ、子どもと大人という違いはあるものの、その違いはかなりギリギリなものだったんじゃないかな、と思います。

パカログ

ドアを通って大人になってしまったという意味では、不可逆的な変化なのかもしれませんけど

 

K&Aプランニングの名前の由来は?

コレはシンプルに自分と奥さんの名前からとったように思えますね。つまり二人の事務所だった、と。

  • K:須賀圭介(けいすけのK)
  • A:須賀明日香(あすかのA)

 

K&Aプランニングはどんな場所だった?

そもそもK&Aプランニングは、家族3人で住んでいた場所です。

なぜかというと、安井刑事(ベテラン刑事)が事務所に音おずれたときに「娘の身長が壁に書かれている」から。

つまり、あの場所は消えた(死んだ)奥さんと、離れ離れになった娘との思い出の場所なんですよね。

 

なぜ警官に対して切れたのか?

なぜ警官に対して切れたのか?

そもそも彼は、帆高を止めに来たはずです。

彼の子供っぽい(ある種自分の内面を見るような)行動に対して、イライラしていたでしょうし、当然彼の今後を考えてのことでした。

しかし、最終的に警官に飛びかかり、帆高の手助けに入りました。

何故かというと「もう一度、大事な人に会いたいんだ」という帆高の心からの叫びに心を動かされたから。

自分はすでに願うことを許されないと思っていた、叶うことはないと思っていた純粋な気持ち。

それを、踏みにじられたくなかったから…というのが理由だと思います。

 

「天気の子」と「君の名は」との比較

本作「天気の子」は、大ヒットした前作「君の名は」からの呪縛から逃れられません。

視聴者側がどうしたって「あの感動をもう一度」と望んでしまうから。

とはいえ、作り手側としては「一度やったことを二度繰り返すなんて…」という葛藤もあるはず。

ってことで、前作「君の名は」と多く違ったなーと思ったシーンを書いていきます。

天気の子:くもり空から始まるオープニング

いきなりの曇り空から始まるオープニング。

この時点で「エンタメに振り切ってませんよ」って感じがします。

で、タイトルが出た後のオープニングテーマが流れなかったですね。

パカログ

「君の名は」ではTVアニメのように、物語の全容がわかるOP曲があったのが印象的でした

 

「君の名は」の憧れの場所だった「東京という街」の負の側面を全力で描く

「君の名は」のヒロインが憧れていた場所「東京」。

田舎の人々にとっての「オシャレで、最先端で、何かが待っていそうな場所」というイメージが前作では忠実に描かれていました。

渋谷のきらびやかな感じとか、主人公の滝くんが働くイタリアンとか、カフェで待ち合わせる高校生とか。

現実とはちょい違うけど、ある種の「理想としてのステレオタイプの東京」を一切躊躇なく表現していましたよね。

 

一方で今作の「天気の子」では、東京という街の負の側面を全力で描いていました。

家出少年の主人公「森嶋 帆高」を助ける人は出てこない。

漫画喫茶での寝泊まり、見つからないバイト、カタギじゃない商売と隣接する新宿。

ヒロインの天野陽菜がホテルに連れて行かれそうになったり、銃が隠されている場所があったりと「フィクションだけど、まあ現実でありうるよな」と、気付かされます。

曇りの描写、さらにはリアル過ぎる絵の表現もあいまって、なんて暗くて大変な場所なんだ、といういう刷り込みがされますね。

 

その他の雑感なぐり書き

ジャンクフード・インスタント食品による一夜限りの宴

警察に追われながらも、帆高たち3人は、池袋のラブホにたどり着きます。

金は、須賀からもらっているの充分にあります。

そこで、なんとか逃げ切れたこと、そして誕生日の祝い、もろもろ兼ねてのいちや限りの宴が開かれます。

 

ここで彼らが美味しそうに食べるのが「ジャンクフード・インスタント食品」なんですよね。

「からあげクン」を筆頭に、今もコンビニやスーパーで買える食べ物が沢山。

「即席な食べ物」たちは、彼らの貧しさの象徴と共に、この宴自体が「一夜限り」というのを暗に示しているようです。

 

日常に肉薄している食べ物、それも我々が普段は「贅沢と思っていないもの」を扱うことで、非常に心に響く仕掛けになっています。

ということで、スポンサー商品なども多々ありつつも、心にグッとくるシーンを引き立てるのに一役買っていたのは間違いないよな、という印象でした。

 

Yahoo知恵袋に書き込むネットリテラシーのなさ

森嶋帆高はことあるごとに「Yahoo知恵袋」に書き込んでいました。

これって、正直かなり「ネットリテラシーがない」行動ですよね。

家出した原因も不明でしたが、何のツテもなく情報もなく飛び出して、さらにはYahoo知恵袋で質問をするという残念さ。

この辺りで、私のようなネットが好きなオタクとしては「ちょっと共感しづらい主人公」になった気がします。

 

森嶋帆高の家出原因の不明さ。閉塞感の表現

森嶋帆高が家出した原因は、結局謎のまま終わりました。

補足
原作小説を読むと、答えが書いてありました。 「父に殴られて家出した」というのが答えのようです。 映画でも冒頭で絆創膏を3つほど貼っていましたが、そういう理由だったようです。

 

物語終盤の卒業式の光景を見ると分かりますが、

  • 人口が少ない、友人も少ない
  • 恋愛したことがない
  • 島にいて、都会へ憧れあった
  • 噂がめぐるような人間関係に嫌気が差していた

という感じの場所で彼は育ちました。

私も田舎出身なので「都会に行けば何かが変わる」「違う世界が待っている」という幻想を抱いていました。

彼もきっと、そんな私や多くの若者同様に「今、ここでの自分じゃない自分」を求めていたのではないかな、と思います。

パカログ

殴られたというのはキッカケであって、それ以前に行動するべく鬱屈は溜まっていたのでしょう

 

森嶋帆高の家出の心境は「The catcher in the lye」(ライ麦畑でつかまえて)

一方で森嶋帆高の家出に関して「分かる人には分かる」的な描写もありました。

それが、彼がネットカフェで読んでいた書籍「The catcher in the lye」(ライ麦畑でつかまえて)です。

村上春樹さんが近年和訳もした「青春小説の代表」的なJDサリンジャーの名作ですね。

パカログ

私も中学生の頃に読んだなあ…

 

小説なので、ネットカフェ(漫画喫茶?)に置いてある本ではありません。

つまり、あの少ない荷物にわざわざ詰めてきたということ。

映画内でも2度、3度と意図的に映し出されていました。

 

多くを語らない彼の心境は、ほぼあの本の感じ…で間違いないと思います。

 

「ライ麦畑でつかまえて」のホールデン・コールフィールドと「天気の子」の森嶋帆高の違い

「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コールフィールドについて知ることが、「天気の子」の森嶋帆高という人物を知る上では役に立ちます。

 

ざっくりと「ライ麦畑でつかまえて」の話を語ると以下のとおり

  • 主人公ホールデンは高校生
  • 学校から退学処分を受けて、ニューヨーク(都会)に向かう
  • 家には帰らず、怪しいホテルなどに宿泊する
  • 売春婦を斡旋する男に金を巻き上げられる

 

ちょっとした色気。あざとい描写あり

「君の名は」でもそうでしたが、色気&あざとい描写の配分が凄い。

物語の要所要所で、

  • 巨乳の女性
  • 下着姿
  • 大人向けのホテル

などの表現がありまして、子どもが見られる範囲内で、上品にやってるな、ってw

意外とこういう描写って思春期の時に印象に残りますし、退屈しそうになった展開の時とかの息抜きやアクセントになりますからね。

 

スポンサー表現とリアリティ

スポンサー表現がすげー露骨だったのが本作の特徴。

ビールもそうだし、チキンラーメンも、ポテトチップスも、何もかも身の回りの商品が出てきましたよね。

このスポンサー商品を作品内に出す手法は年々加熱しています。

特にトランスフォーマーの映画はスゴかったです。

いやいや、流石にひどすぎでしょ、って感じ

(敵に追われて絶体絶命!みたいな状況で、冷蔵庫からスポンサー企業の牛乳を出して飲むシーンとか)

 

ただ、この大きな流れは仕方ないんですよね、きっと。

良い映画が作られるためには、お金が集まらないとスタッフも確保できないですし。。

作品に影響を及ぼさない限りで、商品がちらほら出てくるのはまあやむなし。

良い点、悪い点両方ありますからね…。

 

むしろ気になるのが作品の寿命ですよね。

日常のリアリティ描写を出せば出すほど「今、映画を見る人」にとっては、親近感が湧いて、没入できる。

一方で、数年後に見たときに「なんとなく古びた印象」になってしまう、という欠点があります。

「あぁ、あんな企業もあったね」とか「今どき、それは無いでしょ」みたいなのがあったり。

更に30年、40年と年月が経つと、令和元年の日本はこんな感じだったのか、という一種の試料的になるかも知れませんけどね。

ってことで「新鮮さ」を売りにすると、どうしても作品の寿命が減ってしまうかもなあ、というのが個人的には懸念しているところです。

※とはいえ、スポンサーがつかないと作品はできていませんし、お金とクリエーションは本当に難しい問題ですね

 

結局、天気の子は面白かったのか?面白くなかったのか?

結局、天気の子は面白かったのか?面白くなかったのか?

これは正直賛否が分かれるはず。

私個人としては、どんなエンタメも裏側を推理し、自分なりの解釈ができた時点で楽しめるたちなので、面白かったです。

とはいえ「君の名は」ほどの深み、隠されたトリックもなかったですし、割と一本道でストレートな作品だったので、強く心には残らないかな、とも。

 

「君の名は」はある種の時代性を表していた作品だと思います。

しかし「天気の子」は面白い作品ではあるのですが、この現代という時代の中で、どういうふうに残るのかは、いまいち難しい。

 

心の曇天模様が晴れになる。

そんな作品をこそ待ちわびていた我々。

しかし、その天気は変えられなかったかな、と。

 

とはいえ、音楽・映像・お話と、何をとってもすげー作品であることには違いないので、ぜひ劇場で見て欲しいですね。

パカログ

小説版もありますよ

 

あと、おまけです。

新海誠監督の「天気の子」に関するインタビューをまとめました。

監督自らの言葉から、作品を読み解くと、より一層楽しめるはず。

 

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